頭に「き」のつく地名の由来

更新日:2022年03月01日

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北木戸西(きたきとにし)

  • 地区:諸輪

諸輪に本格的な「木戸(関所)」の存否はおいて、地域の警備や防犯に類するものが、臨時的に設けられていたことによると考えるのが妥当と思われます。特に、位置からして日進方面からの備えのものと考えられます。

北山(きたやま)

  • 地区:諸輪

「北山」はもともと傍示本の山であったから「北山」と呼んでいました。昔ある時、傍示本の殿様(地主)の娘、佐代姫が諸輪の殿様へ嫁ぐとき「北山」を持参したので、それから「北山」は諸輪の領地となった、と伝えられています。
北山台(きたやまだい)「北山」につくられた住宅用地といわれています。
「北山」が土地改良事業により、独立した行政区になる時につけられた名称です。

狐坂(きつねざか)

  • 地区:諸輪

「北山」の高い台地の松林に狐穴が沢山あったことからの呼名でしょう。

北蚊谷(きたかがや)

  • 地区:和合

古代地名語源辞典によると語源的には「かが」はカケ(欠)の転化で「崖地」のことといわれます。
「蚊谷」の全域をみると、周りを囲まれた地形をしており、中央は低湿地で池が存在しているほどで、地形からの呼名と思われます。

ギロウ(ぎろう)

  •  地区:和合
  1. 名古屋-挙母(豊田)線(当時)と鳴海街道の分れ道の岐路が訛って「ギロウ」となったのでしょう。
  2. 地域によっては「粘土」のことを「ギロ」と称する地もあります。(地名辞典)

以上諸説あり、推定に困りますが、しいていえば1のほうが的を射ているように思われます。

北所屋敷(きたじょやしき)

  • 地区:傍示本

傍示本城の北方にあった居住地から、こう呼ばれたといわれています。

北野渕(きたのぶち)

  • 地区:傍示本

現在は水田地帯ですが、境川の流れが今とは異なっていた昔は、境川がこの付近で蛇行をしており、それがいくつかの渕を形成していたものと思われます。いくつかの渕の中の北にあることからの呼名でしょう。

北反田(きたんだ)

  • 地区:傍示本

集落の北方の田ということで、キタダ→キタノタ→キタンダとなったのではないかと思われます。
しかし「反」が不詳です。

喜之右エ門新田(きのえもんしんでん)

  • 地区:傍示本

中屋敷に住んでいる野々山氏の先祖に喜之右エ門という人がいて、その人が新しく開いた田畑であることから呼名されています。

狐塚(きつねづか)

  • 地区:祐福寺

狐神を祀った塚からつけられたものであるといわれています。もとは、田の神を迎えるための斎場であったともいわれています。

経ヶ峰(きょうがみね)

  • 地区:祐福寺

経塚があったことによる呼名といわれています。

【参考】

経塚は、浄土三部経を経筒というものに入れて、それを埋蔵し塚にしたもの。

北切山(きたきりやま)

  • 地区:部田

山を切り開いて畑を作ったところ。ここの南に「南切山」があるところから、開拓地を南と北に区分した地をこう呼んだといわれています。

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