小牧・長久手の戦い同盟について
小牧・長久手の戦い同盟とは
天正12(1584)年、豊臣秀吉と徳川家康・織田信雄連合軍が戦った「小牧・長久手の戦い」は、後の天下人である秀吉と家康が直接対決した唯一の戦いであることから、「真の天下分け目の一戦は小牧・長久手の戦い」と評価し、協力して情報発信をしていくなど、連携を深めるために令和3年11月30日付けで締結した同盟です。
東郷町は、令和5年6月7日に江南市とともに、この同盟に加盟しました。
令和3年11月30日 小牧市・長久手市・日進市・春日井市・犬山市の5市で結成。
令和4年1月28日 尾張旭市・瀬戸市・可児市が同盟に加入。
〇目的
戦いの知見を深める
ゆかりの地の繋がりを深める
日本国内外に発信し人々の往来を促す
東郷町とのかかわり
東郷町は、小牧・長久手の戦いのひとつである岩崎城の戦いをおこし、徳川家康から、「一番の戦功者は池田勢を足止めさせた、岩崎城代・丹羽氏重である」と、その戦功を称えられた、若き英雄・丹羽氏重の居城・傍示本城や、丹羽氏ゆかりの諸輪上城、中城等があったまちです。
岩崎城の戦い
徳川家康軍に加勢した氏次の留守を預かり、岩崎城代として、姉婿の長久手城主・加藤景常とともに岩崎城を守っていた氏重は、天正12年(1584)4月9日未明、「三河中入り作戦」を決行するべく、岡崎を目指し進軍する池田軍が岩崎城付近を通過するのに気づきます。
氏重は、「このまま岡崎城に向かわせてはいけない」とわずか300名ほどの軍勢で攻撃を仕掛けました。しかし、大軍の池田勢にはかなわず氏重方は全滅、岩崎城は落城しました。わずか2~4時間ほどのできごとでした。
しかし、この戦いが結果的に池田軍を足止めすることとなり、長久手で三河中入り部隊に追いついた家康は勝利を収めました。
家康は、「一番の戦功者は池田勢を足止めさせた、岩崎城代・丹羽氏重である」と、その戦功を称えたと言われています。
※三河中入り作戦
小牧山の小田・徳川連合軍と、楽田(犬山市)の羽柴軍の膠着状態を打開するため、秀吉方の池田恒興が立てた作戦。家康の拠点のひとつである岡崎を攻めることで、小牧山から家康をおびき出そうとしました。
今回、同盟に加盟することで東郷町が日本史上の重要な出来事に関連していることを多くの人に知ってもらえればと考えています。
また、同盟参加団体間の連携を深め、戦いの知見を深めるとともに、協力して情報発信することで効果的なPRを図っていきたいと思います。
小牧・長久手の戦い同盟のポスターについて
小牧・長久手の戦い同盟のポスターを岩崎城歴史記念館さんに作成いただきました。生涯学習課や町民会館にもポスターを掲示しましたのでぜひご覧ください。QRコードから各市町の史跡等の説明があるホームページにリンクすることができます。
代表館:岩崎城歴史記念館 小牧山城史跡情報館(れきしるこまき)
発行元:岩崎城歴史記念館
東郷の城址について(外部リンク)
とうごう歴史発見!魅力発信!!(外部リンク)
この記事に関するお問い合わせ先
生涯学習課
電話番号:0561-38-7780
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更新日:2023年06月05日