「旧傍示本村 ”地蔵堂の遺物”~東郷の古を~」展示のお知らせ

更新日:2026年06月29日

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旧傍示本村 "地蔵堂の遺物"

~東郷の古(いにしえ)を~

旧傍示本村には、地蔵堂がありました。場所は、現在の傍示本信号交差点を東へ200mメートルほど入ったあたりだったようです。 地蔵堂には、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)像とともに三宝荒神(さんぼうこうじん)像、不動明王(ふどうみょうおう)像といわれる3躯(く)の木像と如来(にょらい)形の石像が祀られていたようです。

地蔵堂は、いつ頃からあったのでしょうか。

尾張藩が、寛文11年(1671)前後に村々に提出させた「寛文村々覚書(かんぶんむらむらおぼえがき)」という文献には、地蔵堂の記載はありません。それより後の寛政4年(1792)から文政5年(1822)にかけて編纂された「尾張徇行記(おわりじゅんこうき)」と天保14年(1843)頃に成立した「尾張志」には、「地蔵堂」が記述されています。

地蔵堂には、前述の像の他に音を鳴らすときに使う「鏧子(きんす)」と呼ばれる仏具もありました。その鏧子には、昭和50年代の調査で「地蔵堂宝住院 元治二年二月」(1865)の銘が確認されています。そして町誌別巻村絵図集の第9図にも地蔵堂が記載されています。第9図は、凡例表記や記載されている被給地者の氏名が第8図とほぼ一致しています。第8図には「天保12年(1841)」と作成年が明記されていることから第9図は、天保12年(1841)頃に描かれたものと推察されます。

これらの事実から地蔵堂が建てられたのは、尾張徇行記の編纂中か、それ以前と推定できます。廃堂後、祀られていた像は管理者宅で保存されていま したが、家屋の建て替えに伴い生抜きをしたうえで東郷町の歴史資料として郷土資料館に寄贈されました。 なお、昭和50年代の調査では、管理者宅の古老が、「地蔵堂は、火の見櫓(やぐら)の辺りにあって、終戦の頃まで残っていた」と話されていることから、堂宇(どうう)は、昭和20(1945)年頃まで建っていたものと考えられます。

地蔵堂の遺物は、東郷町の歴史を知る手がかりの一つであり、貴重な現物資料といえます。

年代 参考文献 地蔵堂表記

1671年前後

(寛文11年)

寛文村々覚書 ×

1792~1822年

(寛政4年~文政5年))

尾張徇行記

あり「地蔵堂」

1843年

(天保14年)

尾張志 あり「地蔵堂」

1841年

(天保12年)

町誌別巻村絵図集第8図 ×

1841年

(天保12年)頃推測

町誌別巻村絵図集第9図

あり「地蔵堂」

1865年

(元治2年)

地蔵堂の仏具「鏧子」 あり「地蔵堂」

※凡例表記、被給地者氏名が第8図とほぼ同一

ところ

郷土資料館(イーストプラザいこまい館内)

その他

郷土資料館では、「旧傍示本村 "地蔵堂の遺物"」展示の他にも、農家の一室(生活の様子)や農業・養蚕の道具などを展示しており、当時の東郷の歴史・人の生活を知ることができます。

 

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